今日は子供の頃大変お世話になったおじさん2人の法事でした。
子供の頃から何回となく行ったお寺。
最寄駅から遠いためタクシーで行くのですが、なんとタクシー全然駅前にいない、汗。
タクシー乗り場にいた知らないお姉様が声かけくれ、一緒にタクシー乗って割り勘で済むというラッキーもあり。
今回の法事は母の実家の方。
父の実家の菩提寺は本堂へのリフト椅子があるんですよ。
そんな感じだったかと、勘違いしてたら、本堂までバッチリ階段しかなく。汗
でもわたしのいとこやら(結構もういい歳)いとこの息子やらが手伝ってくれ、車椅子に乗ってる母ごと持ち上げてくれました。ありがとう。泣
そして、今回思ったこと2つ。
法事含め冠婚葬祭で人が顔を合わせるのは大事。
ついでに言うと新年会やら誕生日会やらなんでもいいから一族郎党顔合わせてぺちゃくちゃ喋るの、大事。
母の実家の方は、私のおばあちゃんがそうしてくれてた、それを母が踏襲して、今わたしもやってる。
もう20年以上前だけど雨の中、自宅で葬式やった叔父がいて、7人兄弟の母はその子供たち入れるとまさに一族郎党という表現がピッタリな大所帯。
寂しく悲しいはずの葬式が、ガヤガヤワイワイする。
それがみんなで集う理由なんだなと直感として感じてます。
今日はそんなにいなかったけど、でも会えばいとことは気が知れてるし、安心感すごくする。
それが一番大事〜♪って歌、ありましたよね。笑
もう一つ、お経の意味とお寺本堂の装飾。
こないだの日曜美術館でみた「あの世」の話。
極楽浄土をイメージする〜紫式部から法然へ〜
子供の頃はお経長くて眠くて、笑、早く終わってと思ってた。
でも齢五十を過ぎると、なんか知ってる単語が散見される。
なんか、ちょっと、楽しい。
その単語の一部がこないだの法然の絵の中に出てきてたなーなんて思い出し、点が線になる。
これぞおばさんの醍醐味、生きてる時間が長いと知ってることが増えて、ムフフフ、それ知ってるぞと思える機会が増大。
ほらねー、おばさんも案外楽しいー。
あの世ではいろんな人が待ってるんだろうな。
そう思うと案外怖くなくなってくる。
キリスト教だと天国、仏教だと極楽、どっちに行こうかな?
今日の気分は、極楽がいいなぁ。笑
お経の途中から母は顔をしかめていて、トントンしながら聞いた。
ほぼ発語しない母だけど表情では感情を伝える。
何を思いその表情だったのか、あの世に思い馳せたのか、早く横になりたいのか、どっちだったんだろうなあ。