タイトル、悲しいなあ。
でも介護、やり切った感じなので、悔いはありません。
12月入ってから:発熱繰り返す
体温調節があまり出来なくなってきてると訪看さん談。
なので熱を逃すために布団を掛けないでタオルケットのみというタイミングもあったり。
ちょーっと心配。(冬だからねえ)
でも、点滴から抗生剤を入れると、確かに下がっていく。
なので、熱出てドキドキ→熱下がってホッとする、を何度か繰り返した。
12/21日曜
私が入っているオーケストラ(しもたかフィル)の第九演奏本番の日でした。
リハーサル中に携帯の長い着信があり「これは何かあったな」と思いました。
本番の前に電話したら、訪問診療の代診の先生からの電話。
熱は8度台&酸素マスクの機械を入れるとのことなので、ご家族来てくださいとのこと。
取り急ぎ、妹に駆け付けてもらう。
本番が終わり、妹が駆けつけてくれ、状況分かり、酸素設置し(鼻の下にチューブを置いておく方式)、熱は7度台に下がって、苦しそうではないので、とりあえず帰るとのこと。
正直行かなくても大丈夫だったかもしれないけど、でも心配なので、本番終了後、一旦うちに戻りタクシーで実家へ。
熱が比較て落ち着いていた&翌日、妹が行けるとのことだったので、小一時間いてから帰った。
12/22月曜
妹が行ってくれた。
鼻の下にチューブをやるタイプの酸素供給だったけど、どうしても噛んでしまうらしく、マスク式に変更。
熱も、37.3度。
苦しそうではないと。
血圧は朝の時点で83/63。
この日は、訪問入浴あったけど、身体拭いておしまい。
目立つ浮腫は無し。
この日に仕事をやっつけて、明日実家へ行けるように何とか頑張れた。
仕事のパートナーの人達にも、初めて母の状況を伝える。
12月23日火曜
朝
母のところに、いとこが会社の帰りに寄ってくれると朝連絡あり。
昼すぎ
母が苦しそうとの妹からの連絡。
14時ごろ
血圧81/63。
1訪看さんノートにも「死前喘鳴(しぜんぜいめい)聞かれる」とあり。
15時くらい
実家到着。
ずっと寝たまま(目を閉じたまま)だった人なのに、目が開きっぱなし。
瞬きもしない。
16:30
弟も到着。
家族全員そろった時点で、訪看さんが写真撮ってくれる。
孫たちにも、来てほしいとLINE流す。
夕方から夜
それぞれの配偶者、孫たちが入れ代わり立ち代わり来てくれる。
来る時間はまちまちだったので、全員集合とはいかなかったけど、入れ代わり立ち代わりで写真撮った。
ご飯の時間なので、寿司を取って、ビールを買ってくる。
様相はさながらプチ新年会。(笑)
配偶者と孫たちは帰って、この日は妹と私が泊ることにした。
訪看さんには、無呼吸になったら連絡くださいと言われたので、寝ずの番かな、と思ったけど、一応定期的な呼吸だったので、母のベッドの脇に布団を敷いて横になる。
夜中2時ごろ
お父さんが様子を見に来る。
4時くらい
私が息をしているのを確認。
6時くらい
定期的な音がしているのを確認したので大丈夫かなと思ったら、それは酸素吸入器の音だった。
どうかな、と思い胸に手を当てたら・・止まっている、呼吸が。
慌てて妹を起こし、訪看さんに電話。
実は大泣きするって感じじゃなかった。
覚悟はできてたし、変な話、息があったら点滴はどうするかという判断をしなきゃならない。
そんな風に悩んでいたあたしのことを、お母さんはお見通しだったんだね。(泣)
泣けてくらぁ。
もちろんこの時には温かかった。
まだ点滴の針は刺さったままだったけど、酸素マスクは外してあげた。
6時半過ぎ
訪問看護さんが来てくれて、弟も7時すぎに来た。
弟が来た時も温かかった。
訪看さんがに、息をしていないの確認もしてもらったが、死亡診断は訪問の先生が来てから、とのこと。
まず、いの一番にやってもらったのは、右腕と右足の点滴の針を取ってもらう事。
そして尿道カテーテルを取ってもらう事。
そうやって管につながれていたのが、ほんとうにかわいそうだった。
何にもつながれず自然の流れに沿って亡くなった叔父を見ていたので、あれが一番自然だなと思っていた。
あと、石飛先生の本ね。
でも何もしない勇気を持つのは、なかなか難しい。
訪問看護さんに「身体、清拭(せいしき)しますか?」と聞かれたので「する」と返事。
温かいタオルを10本くらい用意してと。(タオルを絞ってレンジでチン)
肌着も、おむつも、ズボンも、シーツも、全部取り換えて、髪も洗ってくれ・・・とても気持ちよさそうな顔をしていました。
兄弟三人で全身拭いた。
赤ちゃんのとき自分がやってもらったことをやってあげているという感じ。
全身を見ることが出来た。
むくみはなかったし、おしっこも最期までキレイなままだった。
身支度は出来た。
少し時間があったので、うどんを作って訪看さんと兄弟と父と5人で食べる。
温かくてうまい。
9時ごろ
訪問の先生が来る。
父は、そもそも予定されていた訪問看護師さん介助で入浴をする。
先生が、よくドラマで見る目を開けて瞳孔を確認していた。
ライトを当てても、変化がない、開きっぱなし。
死亡診断書を書いてもらう。
さあここから怒涛の電話タイム。
10時過ぎ
訪看さんが勧めてくれた葬儀屋さんに電話する。
とても感じがいい。
まず火葬場の空き状況を確認。
27日の午前中は火葬場で葬儀とセットの枠が開いている。
その段階で、弟は、お寺に電話。
お寺は27日の午前中、納骨があるとのことなので、予定が合わない。
他の日程も模索するも、年内に済ませたい、そして、葬儀までの日が短ければ霊安室も入らないで済む。
最初に電話したところは葬儀場は持ってないので、町会の人と訪看さんが勧めてくれたところに連絡。
11時半に電話して12時半に来てくれるという早業。
27日に決定。
その代わり、葬儀は午後から、火葬場も15:30の枠、そうすると葬儀場でのお清めの時間に間に合わない。
なので、別の場所でやることに。
葬儀場のすぐ近くのお寿司屋さんに聞いたが空いてない。
ならば、銀座のライオン!だが空いてない。
ならば、数寄屋橋のニュートーキョー!空いてた!予約!
葬儀屋さん来た時には、お線香台やシーツを持って来てくれる。
さっきまで布団をかぶっていた母は、まるで寝ているかのようだったけど、白い布を掛けられた母を見て、ああ、仏さんになっちゃったんだ、という感じ。
葬儀屋さんが教えてくれたのは、シーツは逆さ干しをすれば使えるとのこと。
ふつう夜干さないけど、あえて夜干すことで、洗濯すれば使える、というもの。
色々決めてく
祭壇(意義あり!笑)、花、棺桶、骨壺、様々なものを選んでいく。
死に装束、あと湯灌をするかどうかなど。
メニューがタブレットで、まるでファミレスのメニューみたいでした。汗
結構ジャンジャカ決めて行った感じです。
時間と場所が決まったら、親戚に連絡。
ああ、兄弟3人いてよかった。(笑)
お坊さんのお布施は50万、戒名込みで。
湯灌と納棺は、葬儀前日の26日午後からやることに決まった。
町会婦人部のラインに流す
そうしたら、お父さんの髪を切ってくれる床屋さんにもソッコーで連絡がいったそうです。
葬儀に来てくれるというおさななじみの友達、そのお母さん、線香あげに行くと言ってくれる町会の人達・・・やっぱりね、ありがたいのよ。
12月26日(葬儀前日)湯灌ドキュメント
8時
母の行っていた美容院の先生に連絡。
13時ごろ、葬儀場に行っていいですかということだったので、ぜひとお話しした。
葬儀するところは、美容院の目と鼻の先。
母の髪のカット&顔そりに亡くなる2週間前に自宅へ来てくれた。
一昨年、娘の成人式に合わせて車いすの母の着付けをしてくれた。
8月の熱の出る前に、美容院に行って、髪を染めたりパーマ掛ける、手足マニュキアやる、など全部やってもらっていた。
本当にお世話になった先生だけど連絡するかどうか迷っていた。
妹が背中を押してくれ、電話した。
10時
実家へ到着。
11時に葬儀屋さんが来て、葬儀場での湯灌をするのに母を葬儀場にストレッチャー連れて行った。
1回のエントランスまで見送る。
ああ、本当に死んじゃったんだなあ。。。
13時
湯灌スタート
行ったらタオルを掛けた状態でお風呂の上にいた。
訪問入浴をやっていたので、あれと同じイメージ。
逆さ水というのをやって、シャワー掛けてくれて、髪を洗ってくれてブローしてくれて。
うっすら顔は既にファンデーションされていた。
着物は、半襟が紫にして、髪の色と揃えた感じにした。
もちろん左前。
付け爪を選べて、赤にした。
メイクをしてくれて、妹が眉を私が頬紅をちょっと足した。
身体を拭いてから、手甲(てっこう)脚絆(きゃはん)、足には足袋(たび、マニュキアしたけどね)、紐を結んであげて。
金剛杖、短刀、六文銭を「頭陀袋(ずたぶくろ)」に入れて首から下げるようにして。
この六文銭、友達が亡くなった時に袋に入れてあげた記憶がある。
その六文銭が、紙だったんだけど、今回は何か金属っぽい、それっぽい、硬いヤツ。
この素材なんですか?と聞いたら、燃やせるセラミックだとのこと。
進化しているなあ。
よく漫画で描かれる、おでこの上の載せる白い三角のやつは、手元くらいに置いておいおく。
お化粧が済んで旅支度が済んで、納棺士の人とお化粧してくれた女性2人と私達で棺桶に移動させた。
納棺、というやつですね。
ココがいちばん辛かったなあ・・・ああ、いよいよ棺桶に入っちゃったんだって。
帰りに私は銀座の伊東屋にスケッチブックを買いに行きました。
会社の人の奥さんのお母さんのお葬式の時に、元気だった時の写真をぺたぺた張ったボードがあって、それをまねしたかった。
直に写真貼ってももいいんだけど、三角のコーナーでやりたかった。
そういえば自分たちの結婚式でも同じことしたな。笑
実家に戻って、葬儀の支度をいろいろして、兄弟たちは帰ったが、どうしてもやりたくてお父さんに手伝ってもらいながら1時間で写真のチョイスと貼り付け、簡単なコメント書きまでした。
やっぱね、知ってほしいと思ったの、母の色々を。
この翌日が葬儀です。