明日は母の四十九日です。兄弟で手分けして支度してなんとか開催?されそうです。
今まで四十九日は呼ばれて行くものだった。しかし今回は主催する側。
やっぱり気が張るわけです。
そして、昨日実家の父のところにきているヘルパーさんから、お母さんにお別れをしました、と仏壇に手を合わせてくれたと思われるLINEが。(報告がてら毎回LINEしてくれるありがたいヘルパーさん、正確には社会福祉協議会がやってる有償ボランティアさんです)
今は仏壇にお骨があるのでなんかまだ、そこにいる感じがするけど、四十九日=納骨って、いよいよあの世入ってしまうことなのか、と寂しくなります。
よく人が亡くなっても、こう、身の回りにいるみたいなことをいう。その感覚は友達が亡くなったりしたときもあって体感してたけど、お母さんの場合,それがより強い。
昨日のクラシックT Vの小澤征爾さんの回でバイオリンの人も似たようなこと言ってた、いつも見られてると。
私の場合,見られてるというより、思い出した時にカンタンに話しかけられるという感じ。コンビニエントなお母さん。笑
梅が咲いてるのを見れば話かけて、蝋燭と線香つけては話しかけ。
千の風になって〜♪じゃないけど、個体じゃなくて気体になった、的な。笑
ある意味ベッドの上しか居られなくて,動きが不自由で、自分でいいとかヤダとかの意思表示ができなかった、点滴の針が痛いとか、そういうのから解放されて自由になっているんだろなと感じます。